2015年06月17日

住吉大社セミナー 2015年6月

住吉大社セミナー (2015年6月8日)
 「中世大阪 と 住吉社の津守神主」
        講師:関西学院大学 生駒孝臣 先生

〜〜明治の初めまでずっと住吉大社の神主を務めてきた「津守氏」のお話〜〜

・古代における津守氏は、住吉社の社官を務める一地方豪族

・平安時代に、関白藤原頼道が高野詣の途中、住吉社を訪れた際「叙爵」。
  五位の位を授かり、中央貴族の一員に・・・(37代津守保忠)

・11世紀〜13世紀に活躍した3人の神主
   <住吉大社境内に祀られている>

 ・39代 津守国基  <薄墨社(うすずみしゃ)
   和歌の名手として誉れ高かった
   院政を担う院(上皇)の側近グループ(院近臣)との交流を深め、 
   住吉社境内に附属する荘厳浄土寺・津守寺など寺院の整備

 ・43代 津守国盛  <斯主社(このぬししゃ)
   国盛大きな事績は残していません。彼よりも息子の44代長盛の方が功績が大きかった。
   長盛はのちに「大神主」と呼ばれ、四位を授かりで後白河法皇の側近に列せられした。

 ・48代 津守国助  <今主社(いまぬししゃ)
   源平合戦から約100年近く後の人で、2回のモンゴル襲来の撃退加持祈祷を行った。

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 左から ・薄墨社(うすずみしゃ) ・斯主社(このぬししゃ) ・今主社(いまぬししゃ)


・鎌倉末〜南北朝時代の津守氏
   津守国夏は鎌倉時代末期以来の後醍醐天皇との関係から南朝につきます。
   1352年には従三位に叙せられています。
   後村上天皇が賀名生(あのう)から上京する途中津守国夏の館が、南朝の行宮。
   1368年3月に後村上天皇がここで没するまで、南朝の行宮としてずっと機能した。

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  津守邸内正印殿 住吉行宮  【住吉名勝図会】より

・戦国時代
   戦国時代の応仁の乱などに巻き込まれていく
   
・住吉に来た 一休さん
   応仁の乱の戦禍を避けて、1469年8月に、拠点の京田辺市から、住吉に、
   松栖庵(しょうせいあん)に仮住まい。 【牀菜庵】?
   森女との出会いを造る。

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    一休さん 【摂津名所図会】より

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・武士の侵略、放火が増え、 1576年 住吉大社境内全域が炎上。

・豊臣秀吉、秀頼、そして江戸時代の復興

・明治になって、
   神仏分離令により、津守寺、住吉神宮寺は廃絶。
   明治5年に神主の世襲が認められず、
   70代以上続いた「津守家」の世襲は解消
   津守家は役職とともに広大な屋敷を失った。



<余禄>人手に渡った土地のが、その後 所有者から大阪府に寄附され、
    正印殿跡地として 現在 国の史跡に指定されている。
 
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  (現在 工事中です)

posted by MASA at 00:02| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | セミナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする