2017年05月26日

住吉大社セミナー 2017年5月

『 天下人二世 豊臣秀頼の実像 』   2017年5月22日

講師 : 北川 央 先生 (大阪城天守閣館長)


関ヶ原合戦の後、家康は征夷大将軍になり、
秀頼は摂河泉66万石の一大名に転落・・・
それは事実か???・・・を解説された。


秀頼が幕府の一大名でなかった。
 ・関ヶ原後、知行安堵を行っていない。
 ・豊臣家の蔵入地を没収していない。
 ・方広寺鐘銘事件後の家康からの提案を受け入れていない。
 ・大坂冬の陣に際し、家康は天皇に秀頼討伐の綸旨を求めたが出なかった。
   そもそも綸旨が必要だったのは、「秀頼が幕府の一大名でなかった」証拠。

家格について
・秀吉は公家の家格に倣い、武家にも「家格制」導入した。
   ・豊臣本家は五摂家に相応する「摂関家」に位置付け。
   ・徳川・毛利・上杉・前田・小早川などは「清華家」とした。

徳川幕府による全国支配を貫徹するには、豊臣家を滅ぼし、
この家格制の概念を壊して、徳川家頂点に立たなければならなかた。

大阪の陣は、『秀頼が幕府の一大名でなかった』から起こったのである。

<参考>
「摂関家」 近衛 ・九条 ・二条 ・一条 ・鷹司 の5家。
  摂政・関白に昇進できる家。

「清華家」 久我・三条・西園寺・徳大寺・菊亭・花山院・大炊御門の7家。
  摂関家に次ぐ家柄。太政大臣まで昇進できる家。

※ 非常に興味あるお話、有難うございました。
posted by MASA at 01:43| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | セミナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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