2017年05月26日

住吉大社セミナー 2017年5月

『 天下人二世 豊臣秀頼の実像 』   2017年5月22日

講師 : 北川 央 先生 (大阪城天守閣館長)


関ヶ原合戦の後、家康は征夷大将軍になり、
秀頼は摂河泉66万石の一大名に転落・・・
それは事実か???・・・を解説された。


秀頼が幕府の一大名でなかった。
 ・関ヶ原後、知行安堵を行っていない。
 ・豊臣家の蔵入地を没収していない。
 ・方広寺鐘銘事件後の家康からの提案を受け入れていない。
 ・大坂冬の陣に際し、家康は天皇に秀頼討伐の綸旨を求めたが出なかった。
   そもそも綸旨が必要だったのは、「秀頼が幕府の一大名でなかった」証拠。

家格について
・秀吉は公家の家格に倣い、武家にも「家格制」導入した。
   ・豊臣本家は五摂家に相応する「摂関家」に位置付け。
   ・徳川・毛利・上杉・前田・小早川などは「清華家」とした。

徳川幕府による全国支配を貫徹するには、豊臣家を滅ぼし、
この家格制の概念を壊して、徳川家頂点に立たなければならなかた。

大阪の陣は、『秀頼が幕府の一大名でなかった』から起こったのである。

<参考>
「摂関家」 近衛 ・九条 ・二条 ・一条 ・鷹司 の5家。
  摂政・関白に昇進できる家。

「清華家」 久我・三条・西園寺・徳大寺・菊亭・花山院・大炊御門の7家。
  摂関家に次ぐ家柄。太政大臣まで昇進できる家。

※ 非常に興味あるお話、有難うございました。
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2016年08月24日

住吉大社セミナー 2016年 7月・8月

7月25日  『 祭礼図に描かれた住吉祭 』
 講師 : 岡田一充 先生 (関西大学 教授)

 ・住吉祭の行列を描いた絵画、屏風絵が10件ほど紹介された。
   (私は 堺市図書館所蔵の屏風絵しか知らなかったが・・・)
     配布の図やスライドが不鮮明で、ちょっと理解しずらかった。

 ・渡御の神輿が大和川に入る理由が解った・・・
    明治30年、大和橋は工事中の木造の仮橋で、
    200名が神輿を担いで渡るのは危険なため、
    浅瀬を選んで川中を渡った。  〜〜そうです (納得)

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8月8日  『 真田幸村と大阪夏の陣の落人たち 』
 講師 : 鶴崎 裕雄先生 ( 帝塚山学院大学名誉教授)

  〜〜史料をいかに読むか〜〜

  ・「駿府記」:家康の動静の編年風記録
  ・「三河物語」(大久保忠敬)より
  ・「おきく物語」 淀殿に仕えたお菊の回想談を、孫の医師からの伝聞
  ・「河内屋可正日記」
  などが紹介された。
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2016年06月21日

住吉大社セミナー 2016年5月・6月

6月20日  古代の国家祭祀と住吉大社

講師:岡田荘司 先生 (国学院大学 文学部教授)

◆神社はなぜ滅びてしまわなかったのか。神社が受け継がれてきた要因は何か。

 (1)神社が地域と一体となって続いてきたこと。
 (2)天皇が祭り主として続いてきたこと。(新嘗祭など
 (3)古典を学ぶ「学問」の営みが続いてきたこと。(古事記・日本書紀・延喜式など)
 (4)神仏習合
 (5)人を神に祀る(最初が神功皇后・菅原道真・徳川家康など

  中世から近代にかけて、
     日本人は、「古代を原点」として、各時代の神道を作り出してきた。


◆国史に記載された住吉大社ご祭神

  ・日本書紀  荒魂(あらみたま)は、穴門の山田邑に。。。
  ・日本書紀  和魂(にぎみたま)は、大津の淳中倉の長狭に、、、
  ・日本後紀  住吉、香取、鹿島3神社 20年毎の式年遷宮


◆神話の中の神社(天照大神 素戔嗚尊など〜〜

 ・【出雲 杵築大社】−【大神神社】−【伊勢神宮】

 ・【伊勢神宮】−【安房神社】−【香取神宮】−【鹿島神宮】

 ・【筑前 宗像神社】−【紀伊 日前神宮】−【摂津 住吉大社】


◆住吉さんは、本殿の背後に入れる・・特異な神社なのだ〜〜



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5月2日  鯨塚  鯨文化から日本人の心をさぐる

講師:細川隆雄 先生  愛媛大学名誉教授

 ・縄文時代からクジラを食べていた日本人
   縄文時代の貝塚から、たくさんの鯨類の骨が出土している。

 ・鯨塚(くじらづか)とは、岸に打ち上げられた鯨を祀った塚のことで、
   日本独特の慣わしである。
   仏教形式の墓石。江戸、明治期の物が多い

 ・日本人は、天からの恵みである鯨への感謝、特に畏敬の念。

 ・全国各地の鯨塚のスライドショーを見せてくださった。

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2016年04月02日

住吉大社セミナー 2016年3月

住吉大社のご祭神は如何なる神様か
  〜星と航海の関係から考える〜
講師:長崎大学 勝俣隆先生

住吉大社の三神は、オリオン座の三ツ星
   底筒男命(そこつつのおのみこと)
   中筒男命(なかつつのおのみこと)
   表筒男命(うわつつのおのみこと)
     「筒」とは「星」の事です。

オリオン座の三ツ星は、
  真東から昇り、真西に沈む、そして
  昇ってくる時には、縦になって一つずつ出て来るんだそうです。

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2015年11月10日

住吉大社セミナー 2015年11月

「和歌に詠まれた四季」   2015年11月9日

講師 : 冷泉 貴実子 先生

旧暦は、月の満ち欠けを基とする太陰暦でした。
和歌に見られる太陰暦の季節感と年中行事が、日本の文化に大きな影響を与えました。
代表的な和歌15首を見ながら、日本の美を考え、古典の魅力を紹介された。


<備忘録>記憶に残ったことを列挙しておきます

うすくれない・・・  桜
あさみどり ・・・  柳

年の始めの花  春の花  梅
年の終わりの花 秋の花  菊・・・(小菊)

春は霞む、夏は涼しく、秋は澄む、冬は冴ゆる と言うそうです。

七夕の日は、半月を御船にして天の川を渡るというなど、
和歌の世界ではなんともロマンチックな世界が繰り広げられる。
 (現代では七夕は梅雨時で、、、どうもいかん)

春の霞  春の月は「おぼろ月」

有明の月  25日頃の細い月が、明け方に、

夏は 卯の花・・・ほととぎす

秋は もみぢ・・・鹿 (でも鹿の声を聴いた人はいるのかなぁ〜と)


・紀 貫之
  袖ひじてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ

・藤原 定家
  ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる

・藤原 敏行
  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

・藤原 俊成
  けふはもし君もや訪ふとながむれどまだ跡もなき庭の雪かな


※ ゆったりとした語りで、丁寧な解説で、聴き易かった。
  有難うございました。  


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2015年08月07日

高校野球100年記念シンポ

高校野球100年記念シンポジウムが8月5日(水)、大阪市中央公会堂で開催された。

  「新たな夏、プレーボール。」

相棒が事前申し込みしていたのだが、抽選に当たったので、二人で聴きにいった。
   午後 1:30〜3:30 約2時間
   高齢者の参加が多かったが、現役の高校生来ておられた。

・第1部で、ノンフィクション作家の佐山和夫さんが「日本人と高校野球」と題して講演。
・第2部では、パネルディスカッション「僕らのあの夏」  
   ・荒木大輔さん(東京・早稲田実)
   ・宮本慎也さん(大阪・PL学園)
   ・仁志敏久さん(茨城・常総学院)
  甲子園で活躍した3名が、高校時代の思い出、高校野球への思い などを・・・

・事前収録のビデオメッセージが放映された。
    ・長嶋さん(元巨人監督) と
    ・王さん (ソフトバンク球団会長)

===========
・開会前、懐かしの映像が投影されていた。
    100-2.jpg

・会場の様子
    100-3.jpg

※ 素晴らしい中央公会堂で、懐かしいお話が聴けて、暑い中 行ってよかった!!



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2015年07月21日

住吉大社セミナー 2015年7月

『手水舎のウサギ』   2015年7月6日

講師 :八木意知男 先生(住吉大社教学顧問)

反橋を渡ったところに、「ウサギ」の手水舎があります。usagi-01.jpg

住吉大社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211年)
卯年、卯月、卯日であることから、
うさぎは住吉大社の神使(おつかい)とされているそうです。
   ===『住吉松葉大記』===

今回のお話、「うさぎ」「うのはな」「相生の松」に関する話


1)うさぎ   兎 卯 兔
   玉兎・・・月・・・月は陰・・・水を支配する・・・田植え

   卯の花のが咲く →→→ 「田植えの準備をしましょうよ!」というとなのだ。

2)持統天皇の『春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山』
   香具山に白い衣をいっぱい干すわけないんですよ!
   初夏に咲く卯の花の比喩で、
   「真っ白な卯の花」が香具山に咲き乱れて、「ああ! 今年も夏が来たんや!!」

    ※以前に どこかで聴いたことがある。
    ※ネットにも、この解説が・・・

3)相生の松とは、
   黒松と赤松の2本の松が寄り添って生え、1つ根から立ち上がるように見えるもの。
   謡曲『高砂』では、高砂の松と住吉の松とが相生の松であるとし、夫婦和合をうたっている。
   住吉大社の第三本宮と第四本宮の間に、「相生の松」が描かれている図がある。

このような お話でした。


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2015年06月17日

住吉大社セミナー 2015年6月

住吉大社セミナー (2015年6月8日)
 「中世大阪 と 住吉社の津守神主」
        講師:関西学院大学 生駒孝臣 先生

〜〜明治の初めまでずっと住吉大社の神主を務めてきた「津守氏」のお話〜〜

・古代における津守氏は、住吉社の社官を務める一地方豪族

・平安時代に、関白藤原頼道が高野詣の途中、住吉社を訪れた際「叙爵」。
  五位の位を授かり、中央貴族の一員に・・・(37代津守保忠)

・11世紀〜13世紀に活躍した3人の神主
   <住吉大社境内に祀られている>

 ・39代 津守国基  <薄墨社(うすずみしゃ)
   和歌の名手として誉れ高かった
   院政を担う院(上皇)の側近グループ(院近臣)との交流を深め、 
   住吉社境内に附属する荘厳浄土寺・津守寺など寺院の整備

 ・43代 津守国盛  <斯主社(このぬししゃ)
   国盛大きな事績は残していません。彼よりも息子の44代長盛の方が功績が大きかった。
   長盛はのちに「大神主」と呼ばれ、四位を授かりで後白河法皇の側近に列せられした。

 ・48代 津守国助  <今主社(いまぬししゃ)
   源平合戦から約100年近く後の人で、2回のモンゴル襲来の撃退加持祈祷を行った。

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 左から ・薄墨社(うすずみしゃ) ・斯主社(このぬししゃ) ・今主社(いまぬししゃ)


・鎌倉末〜南北朝時代の津守氏
   津守国夏は鎌倉時代末期以来の後醍醐天皇との関係から南朝につきます。
   1352年には従三位に叙せられています。
   後村上天皇が賀名生(あのう)から上京する途中津守国夏の館が、南朝の行宮。
   1368年3月に後村上天皇がここで没するまで、南朝の行宮としてずっと機能した。

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  津守邸内正印殿 住吉行宮  【住吉名勝図会】より

・戦国時代
   戦国時代の応仁の乱などに巻き込まれていく
   
・住吉に来た 一休さん
   応仁の乱の戦禍を避けて、1469年8月に、拠点の京田辺市から、住吉に、
   松栖庵(しょうせいあん)に仮住まい。 【牀菜庵】?
   森女との出会いを造る。

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    一休さん 【摂津名所図会】より

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・武士の侵略、放火が増え、 1576年 住吉大社境内全域が炎上。

・豊臣秀吉、秀頼、そして江戸時代の復興

・明治になって、
   神仏分離令により、津守寺、住吉神宮寺は廃絶。
   明治5年に神主の世襲が認められず、
   70代以上続いた「津守家」の世襲は解消
   津守家は役職とともに広大な屋敷を失った。



<余禄>人手に渡った土地のが、その後 所有者から大阪府に寄附され、
    正印殿跡地として 現在 国の史跡に指定されている。
 
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  (現在 工事中です)

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2015年04月10日

住吉大社セミナー 2015年4月

住吉大社セミナー 2015年4月6日(月)

『 難波津を出港した女帝たち 』

講師:猪熊兼勝 先生(京都橘大学 名誉教授) 


魏志倭人伝、後漢書など中国の記録
新羅、高句麗、百済などの記録
日本書紀の記録

これらの資料をもとに、克明にまとめられた外交関係年表で解説された。


卑弥呼(3世紀)
  ・西暦238年、魏の皇帝から「親魏倭王」金印。
  ・その他、魏志倭人伝には倭国との多くの交流が記載されている。

神功皇后(4世紀)
  ・神功皇后は、仲哀天皇の后で応神天皇の母である。
  ・神功皇后の新羅征討

     <日本書紀には、卑弥呼と魏の交流の話が記載されていない?
     <卑弥呼の時代と神功皇后の時代は120年(干支は二周)の差がある?

斉明天皇(7世紀)
  ・斉明天皇は、瀬戸内海を船で・・・朝倉宮(九州)
  ・白村江の戦い

そして、これらの交流記録に、
   「難波津を出港」、「難波津に着く」・・・の記載がみられる。

※ 理解不十分ですが・・・
     興味あるお話、有難うございました。
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2015年03月12日

住吉大社セミナー 2015年3月

住吉大社セミナー 2015年3月9日(月)
帝塚山と住吉の文学的風土
  講師:八木孝昌先生(帝塚山学院参与)


※住吉に出現した郊外型、学園都市型文学が生まれた経緯について、

 ・住吉、帝塚山界隈は、明治の後半になっても、貧村であった。
    明治末期の人口は3000人余り
 ・ところが大正時代になって、商工業の発達、大阪市の急激な膨張、
    交通網として、上町線、高野線が開通
 ・市内の実業家、富豪が邸宅や別荘を帝塚山周辺に建て、
    従来の耕作地や荒れ地が理想的な宅地となって、
    住吉村の人口は、1万人を超えてきた。
 ・大正期に文教地区にもなった。
   (A)大阪高等学校(阪大の前身:現阪南団地の場所にあった)
   (B)女子専門学校(女子大の前身:万代池の側にあった)
   (C)府立住吉中学校(現住吉高校
   (D)帝塚山学院

map-住吉村-2.jpg


 このようにして 帝塚山周辺は文化都市となっていった。


住吉帝塚山派の作家たち
  ・藤沢桓夫・長沖一・庄野英二・庄野潤三・石浜恒夫・阪田寛夫

  ※私自身これらの方々の作品を呼んだことがないので〜〜
    当時の歴史的背景を学んだだけだった。

<余禄>
  3月15日に、藤沢桓夫の顕彰碑が完成するそうです。
    浅沢社を東に行った角 (コンビニの前あたり)



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2015年02月27日

ミュージアム連続講座

難波市民学習センターで行われた「ミュージアム連続講座」を聴講した。

市内の博物館の先生方が講義されるもので、
今回は「大坂の陣から400年」という節目の年にちなんで、
3週にわたり(6話)の連続講座でした。

第1回目(1/30):「大坂の陣と「大阪」再論!」

   仁木 宏 先生(大阪市立大学大学院文学研究科教授)
      ★16世紀「大阪」論 −秀吉は何故、大坂を選んだのか−

   宮本裕次 先生(大阪城天守閣 研究副主幹)
      ★「大坂の陣」の意味を考える


第2回目(2/6):「うつわで語る豊臣時代の暮らしともてなし」

   松尾信裕 先生 (大阪歴史博物館 研究主幹)
      ★大坂出土の桃山陶磁

   重富滋子 先生(大阪市立東洋陶磁美術館 学芸員)
      ★秀頼公さま、お成り


第3回目(2/13):「屏風絵から読み解く」

   黒田慶一 先生(大阪文化財研究所 主任学芸員)
      ★エッゲンベルク城豊臣期大坂図屏風と征倭紀功図巻

   知念 理 先生(大阪市立美術館 主任学芸員)
      ★大坂の陣と洛中洛外図屏風


毎回1時間半の講義を、二人の先生が連続で話される・・・
ちょっと慌ただしい感じでしたが、新たな体験が多多あり、
有意義な時間を過ごすことができました。

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2015年02月03日

住吉大社セミナー 2015年2月

住吉大社セミナー (2015年2月2日)
 「横綱の起源  摂津の相撲」
        講師:東京大学 教授   新田一郎 先生 
 
相撲の経緯

 ・奈良時代:天皇に相撲をみせる天覧相撲の記述がみられる
       「相撲節」(すまいのせち) 相撲人(すまいびと)

 ・平安時代:神社での奉納相撲
        石清水神社、賀茂祭、春日若宮 など

 ・鎌倉時代:神社の神事として
        鶴岡放生会、 住吉大社 など

 ・室町時代:見物人を集め勧進相撲(町の繁昌、町おこし

 ・江戸 元禄時代:江戸、京都、大阪での 勧進相撲が許可される
    相撲は,やがて庶民の娯楽として普及していった


横綱の起源

 ・寛政元年(1789) 吉田追風(19世)より、
      谷風(4代)、小野川(5代)に「横綱」が免許される。
     (初代〜3代は不明な点が多く、 谷風が実質的な初代横綱)

 ・吉田司家と五条家から免許され・・・両家の争論があって、
    〜〜〜
 ・昭和25年 横綱免許の権限が吉田司家から相撲協会に委譲。

住吉大社に関連する横綱の話もありました
  ・住吉大社で相撲会(すもうえ)、近江国のハジカミ力士の故事
  ・「住吉名勝図会」の宝の市での相撲の様子


※史実に基づいた貴重なお話であり、
   解説が丁寧で非常に解り易かった。
     有難うございました。

<余禄>
  3年前から住吉大社では、大阪場所の前に「横綱 土俵入り」が奉納されています。
  今年は、3横綱の土俵入りが見れそうですね。


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2014年11月14日

住吉セミナー 2014年11月10日

「伊勢斎王と難波の三所禊」
講師:皇學館大学 名誉教授   渡辺 寛 先生

天皇に代わって伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」のお話。

『斎王』は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、
  天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれ、
  都から伊勢に派遣されました。

  その際、何度も“禊”して赴いたことが、延喜式にかかれている。
  それは神に仕える身としては、当然かもしれませんね。


ところが、役を終えて帰京する際の旅程が記載された「江家次第」には、
 ・10日間、 伊勢→伊賀→奈良→山科→最後は船で淀川を下り、難波津で禊を行った。
 ・“三所禊”という。
     三津濱下方禊・・・ 住吉(墨江)にて
     三津濱禊
     安雲口禊
 ・その後、河陽宮(山城の国 大山崎付近)を経て入京した。



なぜ帰京に際しても何回も“禊”をしたのだろうか??


先生の解説では
 ・伊勢行は、俗から神へ (神域へ入るため) “禊”をする。

 ・帰りは、神から「俗」に戻るけじめとして“禊”を行ったのだ。

    その名残の儀式が、今も各神社で行われている「直会(なおらい)」です。


なるほど、なるほど・・・と納得して先生のお話を聴いてました。

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2014年10月21日

住吉セミナー 2014月10月

さまざまな住吉物語

  講師:立命館大学 中西健治 先生

『住吉物語』とは、
中納言の姫君が、継母の計略を知って住吉の尼のもとに逃れる。
 (要するに継子いじめ)
姫君を慕っていた中将は、姫君を探し求め、
長谷観音に祈って、住吉で姫に巡り合い、
共に帰京する。  めでたし、めでたし。


・「源氏物語」や「枕草子」に、この『住吉物語』書名が現れので、
   住吉物語の原型は平安時代に成立したとみられる。

・「一寸法師」や「小男の草子」の一部が下地になっているようだ。

・『住吉物語』の写本、絵入り版本、奈良本、嫁入り本など、
   さまざまな形態で200種類ほど残っている。

・長谷観音の霊験で姫に合えたんだから「長谷物語」となりそうなのに、???
   神は住吉大明神、仏は長谷寺観音なり・・・という記載もあるそうな。

・最近の活字注釈本 3件・・・岩波、笠間、小学館。

・写本されていく度に、いろいろ脚色が加わり、内容も変質していくそうです。
   200種類ほど『住吉物語』があるそうです。

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2014年06月17日

住吉大社セミナー 6月

「住吉の伝説と浮世絵」 講師: 赤間 亮 先生

  浮世絵(錦絵)の紹介でした。

  住吉大社関連の錦絵は、「浪花百景」(長谷川貞信 画)等を知っていて、
  以前から集めていていたんですが・・・

今回、新発見がありました。
「滑稽風俗浪花名所」と「滑稽浪花名所」というのもあるんだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−


★大阪府立図書館 『錦絵にみる大阪の風景』
  http://www.library.pref.osaka.jp/site/oec/nishikie-meisho.html


★大阪市立図書館 デジタルアーカイブ
  『Webギャラリー』
  いままでに展示されたWebギャラリーの一覧
  http://image.oml.city.osaka.lg.jp/image/themes/themeold.html

これらを見れば、江戸後期から明治初期にかけての、
大阪の錦絵や写真を観ることができますよ!



=====反橋で転倒している絵===========

大阪市立図書館
<過去のWebギャラリーの一覧>の中に、
 「図会(ずえ)・絵はがきにみる大阪」<2013年04月01日 〜 2013年06月30日>
  http://image.oml.city.osaka.lg.jp/image/themes/theme1290.html

 ◆「滑稽風俗浪花名所」 十日戎 【画:作者】耕渓

   その4に「住吉之図」・・・反橋で転倒している図、見つけました。
    (講演資料 P3右上の図です)


 ※無断転載禁止なので、ご自身でアクセスし ご覧くださいませ。

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2014年04月22日

住吉大社セミナー『芭蕉の住吉詣』

大阪城南女子短期大学 小林 孔 先生

芭蕉の最後の旅となった『芭蕉の住吉詣』について、

  ・なぜ大坂に来たのか? 弟子達の確執の仲裁では無いようだ・・・

  ・大坂に入って 何処に逗留したか?
    一般に言われる生玉さんではなく、長町6丁目付近だぁ〜

芭蕉、蕉門の手紙や文献・地図を使って、詳しく解説された。

有難うございました。


<余禄> 9月14日句会にて 「升かふて 分別替わる 月見哉」
    住吉公園の句碑
   芭蕉句碑.jpg








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2013年10月16日

遠里小野 環濠跡めぐり

先日の仁木宏先生の講座で、「遠里小野は 環濠集落だった」というので、

わが町 遠里小野をチャリで巡ってみた。
なるほど 「堀の石垣の跡」らしきものが数カ所あるではないか!
現在の地図に、元環濠だったと思われる道筋を色塗ってみると、
古地図の環濠とほぼ一致する

  ori-01.jpg


写真と解説は、WEBページ「デジカメ風来坊」に掲載しました。
  ↓
http://www.geocities.jp/fufuyuyu21/oriono/kango.htm



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2013年10月08日

室町時代の遠里小野

住吉区民教養セミナー
  2013/10/8 PM 1:30〜
  大阪市立大学学術センター 10Fにて

室町・戦国時代の遠里小野
  〜熊野街道と油生産の歴史文化〜

講師:仁木宏教授(大阪市立大学 大学院文学研究科)


※ 戦国時代の遠里小野は、濠で囲まれた「環濠集落」だったそうです。
  
    本当に驚きです。
    地域の勉強をちょっとは してきたつもりだったが、、、
    知らなかった。

※ 後日 図書館やNETで調べ、 環濠集落の跡を巡ってみますわぁ・・・

==========
※チャリで、わが町 遠里小野を巡った結果
 写真と解説は、WEBページ「デジカメ風来坊」に掲載しました。
  ↓
http://www.geocities.jp/fufuyuyu21/oriono/kango.htm



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2013年07月16日

住吉大社セミナー2013年7月

住吉まつり と だんじり
  〜消えた 堺と住吉のだんじり〜
    2013年7月8日

講師: モバイルテレビジョン(株)地車事業局 森 吉隆さん
      (津久野地区  だんじり責任者だそうです)

・消えた住吉界隈のだんじり
   江戸時代から明治には、大依羅神社、生根神社、若松神社で
   だんじり曳行されていた。
   特に安立町では多くのだんじりがあったそうです。

・堺のだんじり
   住吉祭りに合わせて、堺市街では多くのだんじりが曳行されていた。
   明治29年、「堺地車騒動」で旧堺市内での地車曳行は禁止。
   しかし、旧堺の外の津久野地区・鳳地区や高石市・泉大津市では、
   現在も地車曳行が行われている。

・映像にて、各地区での地車の紹介、地車の素晴しい彫刻の紹介があった。

・講師の森さんが運営されているWebページ
   『だんじり』 http://eonet.jp/danjiri/index.php

<参考>
・写真 地車
  danjiri-31.jpg

・写真 地車の彫り物
  danjiri-35.jpg


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2013年06月27日

住吉大社セミナー6月

「大社領域における農業文化誌」
 ・6月24日(月)
 ・講師 森下正博さん・・・なにわの伝統野菜応援団
      (三重大学卒、 農学博士、 元 大阪府立 食とみどりの総合技術 センター

★住吉大社の御田植神事にまつわるお話
  6月14日の御田植の行事だけが注目されるが、その前後に多くの作業が・・・
  写真やビデオを使った説明で「御田講」の皆さんの協力が良く解った。
   
 ・4月:畑苗代の起耕aa-233.jpg
    ・御田の荒起し
    ・牛の飼育、調教、訓練(三木市牧場
    ・13日に、御田の代掻き(トラクターにて
    ・14日、鶴見区農家7名が応援奉仕

    ・舞台撤去後、田植え補修、除草
    ・合鴨除草、水の管理
    ・10月:水落し、稲刈り、脱穀
    ・11月:新嘗祭

★住吉近隣の農作物について
   ・綿の話
   ・菜種油、、、 遠里小野
   ・住吉芋  むし芋

   ・なにわの伝統野菜
      (天王寺蕪、田辺大根、金時人参、大阪しろな、
          毛馬胡瓜、玉造黒門越瓜 勝間南瓜、源八もの)

※パソコンから投影の 写真やビデオを使った説明で、非常に解りやすかった。
※御田講の方など一部解説に加わられ、和やかな講演でした。

皆さん 有難うございました。


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