2015年07月20日

駒ヶ岳

1泊2日のバス旅行。(17日・18日)
  金曜の朝8時、小雨の中をバスは大阪を出発。
  名神高速で京都、滋賀、岐阜と・・・
  だんだん天気が良くなりました。

・「阿寺渓谷」を散策

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・「赤沢自然休養林でトロッコ列車」乗って、
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 < 木曽ヒノキの森林セラピー、 トロッコ列車、 伊勢神宮ご神木伐採跡 >


・泊は「木曽駒高原ホテル」


2日目(土曜)はメインの「駒ヶ岳」へロープウェイで登る予定が、
   強風のため中止。(12時まで待ったが、)

・代りに「ヘブンスそのはら」へ(標高1500mの「天空の楽園」)

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肝心の『駒ヶ岳 千畳敷』は残念だったが・・・次回の楽しみに!
   大阪は大雨だったようですが、雨にも降られず、自然を満喫できたぁ〜〜
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2015年06月17日

住吉大社セミナー 2015年6月

住吉大社セミナー (2015年6月8日)
 「中世大阪 と 住吉社の津守神主」
        講師:関西学院大学 生駒孝臣 先生

〜〜明治の初めまでずっと住吉大社の神主を務めてきた「津守氏」のお話〜〜

・古代における津守氏は、住吉社の社官を務める一地方豪族

・平安時代に、関白藤原頼道が高野詣の途中、住吉社を訪れた際「叙爵」。
  五位の位を授かり、中央貴族の一員に・・・(37代津守保忠)

・11世紀〜13世紀に活躍した3人の神主
   <住吉大社境内に祀られている>

 ・39代 津守国基  <薄墨社(うすずみしゃ)
   和歌の名手として誉れ高かった
   院政を担う院(上皇)の側近グループ(院近臣)との交流を深め、 
   住吉社境内に附属する荘厳浄土寺・津守寺など寺院の整備

 ・43代 津守国盛  <斯主社(このぬししゃ)
   国盛大きな事績は残していません。彼よりも息子の44代長盛の方が功績が大きかった。
   長盛はのちに「大神主」と呼ばれ、四位を授かりで後白河法皇の側近に列せられした。

 ・48代 津守国助  <今主社(いまぬししゃ)
   源平合戦から約100年近く後の人で、2回のモンゴル襲来の撃退加持祈祷を行った。

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 左から ・薄墨社(うすずみしゃ) ・斯主社(このぬししゃ) ・今主社(いまぬししゃ)


・鎌倉末〜南北朝時代の津守氏
   津守国夏は鎌倉時代末期以来の後醍醐天皇との関係から南朝につきます。
   1352年には従三位に叙せられています。
   後村上天皇が賀名生(あのう)から上京する途中津守国夏の館が、南朝の行宮。
   1368年3月に後村上天皇がここで没するまで、南朝の行宮としてずっと機能した。

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  津守邸内正印殿 住吉行宮  【住吉名勝図会】より

・戦国時代
   戦国時代の応仁の乱などに巻き込まれていく
   
・住吉に来た 一休さん
   応仁の乱の戦禍を避けて、1469年8月に、拠点の京田辺市から、住吉に、
   松栖庵(しょうせいあん)に仮住まい。 【牀菜庵】?
   森女との出会いを造る。

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    一休さん 【摂津名所図会】より

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・武士の侵略、放火が増え、 1576年 住吉大社境内全域が炎上。

・豊臣秀吉、秀頼、そして江戸時代の復興

・明治になって、
   神仏分離令により、津守寺、住吉神宮寺は廃絶。
   明治5年に神主の世襲が認められず、
   70代以上続いた「津守家」の世襲は解消
   津守家は役職とともに広大な屋敷を失った。



<余禄>人手に渡った土地のが、その後 所有者から大阪府に寄附され、
    正印殿跡地として 現在 国の史跡に指定されている。
 
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  (現在 工事中です)

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2015年05月25日

須磨離宮公園

5月19日に、須磨離宮公園へ行ってきました。
  (二人の思い出の所へ・・・)

広大な庭園、綺麗な噴水、バラ真っ盛り!!

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  涼風に吹かれながら・・・のんびり楽しんできました。

  帰りに須磨寺によって、、、敦盛の首塚にお参りして、、、

多くの写真を、「デジカメ風来坊」に掲載しています。
   http://www.geocities.jp/fufuyuyu21/

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2015年05月18日

葵祭 社頭の儀

5月15日、京都 葵祭に行ってきた。

葵祭は、もともと 勅使が賀茂の神に進物を奉ることがルーツだそうで、
下鴨神社と上賀茂神社において、
御幣物と御祭文を奏上する社頭の儀(しゃとうのぎ)がとり行われる。

その際に、斎王代はじめ供奉する女人列が、徒歩で楼門から入場されます。
今度、下鴨神社境内の拝観席で見学してきました(10年ぶり)

素敵な女人列の写真を掲載します。

◆斎王代
 十二単衣に小忌衣(おみころも)を着て、心葉(こころば)とよばれる装飾品を頭に飾ります。
 垂髪(おすべらかし)からは日陰糸と呼ぶ白い組紐(くみひも)の飾りが両脇に・・・
 檜扇(ひおうぎ)を手にしたその姿は、優雅〜〜

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 ※路頭の儀では 腰輿(およよ)に乗っておれれます。


◆命婦(みょうぶ)と呼ばれる高位の女官

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◆騎女(むなのりおんな)
  神事を司る女官で、騎馬で参向する。
  下鴨神社では馬を降り、長い裾を曳いた姿は優雅。。。

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◆釆女(うねめ) と呼ばれる女官
うねめ。斎院の神事を司る女官で、斎王代同様、額の両側に日蔭糸を垂れ流す。
 青海波模様の装束がすがすがしい〜〜

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以上、女人列の入場の様子です。


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2015年04月12日

京都御所 一般公開

京都御所 一般公開ほか
 
<日帰りバスツアー>  【2015年4月7日(火)】
  前日まで暖かかかったのに、寒い一日でした。

    嵐山→京都御所→下鴨神社→上賀茂神社→東寺

・私は京都御所に行ったことがなかったので、楽しみでした。
 立派で綺麗な紫宸殿を見て、、、感激!!

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 春季一般公開の最終日。 多くの観光バス、人もいっぱいでした。


・下鴨神社
   正式参拝(御手洗社での特別御祈祷)

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・上賀茂神社
   正式参拝(権殿特別参拝と御神楽祈祷)

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・東寺
   五重塔初層特別公開・塔と桜ライトアップ
   金堂 薬師三尊参拝
   講堂 諸仏の立体曼荼羅

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もっと多くの写真を「デジカメ風来坊」に掲載
http://www.geocities.jp/fufuyuyu21/kyoto-gosho/kygo.htm
  ご笑覧くださいませ!

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2015年04月10日

住吉大社セミナー 2015年4月

住吉大社セミナー 2015年4月6日(月)

『 難波津を出港した女帝たち 』

講師:猪熊兼勝 先生(京都橘大学 名誉教授) 


魏志倭人伝、後漢書など中国の記録
新羅、高句麗、百済などの記録
日本書紀の記録

これらの資料をもとに、克明にまとめられた外交関係年表で解説された。


卑弥呼(3世紀)
  ・西暦238年、魏の皇帝から「親魏倭王」金印。
  ・その他、魏志倭人伝には倭国との多くの交流が記載されている。

神功皇后(4世紀)
  ・神功皇后は、仲哀天皇の后で応神天皇の母である。
  ・神功皇后の新羅征討

     <日本書紀には、卑弥呼と魏の交流の話が記載されていない?
     <卑弥呼の時代と神功皇后の時代は120年(干支は二周)の差がある?

斉明天皇(7世紀)
  ・斉明天皇は、瀬戸内海を船で・・・朝倉宮(九州)
  ・白村江の戦い

そして、これらの交流記録に、
   「難波津を出港」、「難波津に着く」・・・の記載がみられる。

※ 理解不十分ですが・・・
     興味あるお話、有難うございました。
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2015年04月03日

万代池の桜

さくら巡り 4月2日(木)
超近場 「万代池」 「住吉公園」をチャリで巡ってきました。

 ・万代池は近年の護岸工事の際に、かなりの桜の木が除かれ、枝が切られ、
  往年の「桜のトンネル」、「池に張り出した桜」のイメージが薄らぎましたね。

 ・住吉公園は、例年どうり 狭い所に、大勢が集まって・・・

写真はアップにチャレンジしてみました。
 【写真をクリックし、現れた写真をもう一度クリックすると、大きな写真が表示されます】

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ーーー参考ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://ffuu.up.n.seesaa.net/ffuu/image/d-646.jpg?d=a0
http://ffuu.up.n.seesaa.net/ffuu/image/EFBD84-647-2.jpg?d=a1


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2015年04月02日

桜散歩2015

近場の桜を眺めてきました

★毛馬、桜ノ宮、 大川沿いを散歩  3月30日(月曜)

   天六→ 毛馬閘門→ 蕪村の碑→ 蕪村公園→ 
   大川沿い桜散歩→ 泉布観→ 造幣博物館見学→ 天満
   1万3000歩でした。

・毛馬の桜  
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  太い幹から桜の花が・・・
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・毛馬閘門で、砂利運搬船の通過があり、閘門開閉の実際が観察できました。

 ・上流の扉から、船が4隻 入ってきて、
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 ・上流の扉を閉め、 下流の扉下から徐々に排水、 
    どんどん水位が下がって(1.5m位)
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 ・大川と同じ水位になって、下流の扉が上がって、
    お船は大川へと進んで〜〜

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   相棒は初めての体験で、喜んで眺めてました。

・大川沿い
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・泉布観と桜宮公会堂は 外観を眺めてだけ
    <明治天皇が訪れられた碑>

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・造幣博物館内をゆっくり見学

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千里 万博公園を散歩  3月31日(火曜)

  久しぶりに、万博公園、日本庭園を巡ってきました。
  万博公園 桜の周りは家族連れや高齢者でいっぱい。
  
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・桜の周りは人でいっぱい!!

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・日本庭園 人はちらほら・・・
   桜は多くないし、 お花は「ゆきやなぎ」、

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今日も1万3000歩・・・



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2015年03月17日

藤澤桓夫 顕彰碑

15日にお披露目された 『藤澤桓夫 顕彰碑』

写真撮ってきました。
 ・浅沢社を東に行った角   (コンビニ駐車場の前)

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 ・解説のパネル  (コンビニの左横)

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2015年03月12日

住吉大社セミナー 2015年3月

住吉大社セミナー 2015年3月9日(月)
帝塚山と住吉の文学的風土
  講師:八木孝昌先生(帝塚山学院参与)


※住吉に出現した郊外型、学園都市型文学が生まれた経緯について、

 ・住吉、帝塚山界隈は、明治の後半になっても、貧村であった。
    明治末期の人口は3000人余り
 ・ところが大正時代になって、商工業の発達、大阪市の急激な膨張、
    交通網として、上町線、高野線が開通
 ・市内の実業家、富豪が邸宅や別荘を帝塚山周辺に建て、
    従来の耕作地や荒れ地が理想的な宅地となって、
    住吉村の人口は、1万人を超えてきた。
 ・大正期に文教地区にもなった。
   (A)大阪高等学校(阪大の前身:現阪南団地の場所にあった)
   (B)女子専門学校(女子大の前身:万代池の側にあった)
   (C)府立住吉中学校(現住吉高校
   (D)帝塚山学院

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 このようにして 帝塚山周辺は文化都市となっていった。


住吉帝塚山派の作家たち
  ・藤沢桓夫・長沖一・庄野英二・庄野潤三・石浜恒夫・阪田寛夫

  ※私自身これらの方々の作品を呼んだことがないので〜〜
    当時の歴史的背景を学んだだけだった。

<余禄>
  3月15日に、藤沢桓夫の顕彰碑が完成するそうです。
    浅沢社を東に行った角 (コンビニの前あたり)



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